はじめてのフォント
その年のテーマにそってさまざまな人が文章を書く楽しいイベント、ぽっぽアドベント2025、21日目の記事です。
ぽっぽアドベントには毎年参加させてもらっています。主催のはとさん、いつもありがとうございます。
どれもすてきなので他の方の記事もぜひ読んでね。
https://adventar.org/calendars/11587
さて、今年のテーマは「ゆきてかえりし物語」。とはいえ、このところ旅行にも行っていないので、何を書こうか悩んでしまった。
そこで「ゆきてかえりし物語」という言葉の出典をたどると、トールキンの「ホビットの冒険」の副題にあたる。
ご存じの方も多いと思うけれど、「ホビットの冒険」はかの「指輪物語」の前日譚であり、「指輪物語」はおそらく多くの人がいつか読んでみたいなあと思いながら手を付けられていないタイプの本だ。
もれなく私もその一人だが、映画版では片りんしか見えなかった「エルフ語の言語体系」にはずっと興味があった。
トールキンが物語世界の背骨をしっかりさせるために、綿密に架空の言語や神話を作り込んだという話は有名で、そうした架空の体系を作り出すということには憧れがある。
自分でもやってみたいものだけど、文法を一式作り上げるとなるとちょっと壮大すぎる。
そこまで冒険的ではないが、ささやかな自分の世界を作ってみようということで、自作フォントを作ってみることにした。
というわけで、このブログの文章は私の手書き文字フォントで表示されている。
ちょうどフォントを作ろうと考えていた頃、それまで縁のなかった大河ドラマを見るようになっていた。
たまたま見た「鎌倉殿の十三人」がおそろしく面白かったせいで、以降「べらぼう」まで欠かさず見ている。
大河ドラマに出てくる人物は時代的背景から、たいてい筆で文字を書いているのだが、それがたいそうかっこよく、ずっと筆で文字を書いてみたいとうずうずしていた。
そんなタイミングが重なったので、自作フォントは筆で書いた文字から起こすことにした。
とはいえ、基本的に私は字を書くのがべらぼうに下手な上に筆を練習する時間もあまりなかったので、ただただ読みづらい文になってしまって申し訳ない。。
このアイデアにはもう一つ着想源があり、それは2024年に見に行った横浜トリエンナーレだった。
ポスターや作品のキャプションに、横浜市民の手書き文字を集めたタイポグラフィーが使われており、そこには
“大国の大企業が全世界的スタンダードとして制作した書体を、横浜市民をはじめとした多様な個人による手書き文字をバリアブルに混ぜ合わせることによって徐々に崩し、生き生きとした様相に変化させていく”
https://www.yokohamatriennale.jp/2024/news/2223
という思想があるらしかった。
今まで何気なく提供されたフォントを使っていたが、たしかに考えてみると、今なじみのあるフォントの多くは MicrosoftやApple、Googleが普及させたものかもしれない。
私のフォントは大企業が作ったフォントより可読性が低く不親切であり、まったく洗練されていないが、この不出来なブログの読み心地には、われわれオタクがみなHTMLやCSSを手書きしてHPを作っていたあの頃のインターネットの「遅さ」と親密さがあるかもしれない、というかすかな期待がある。
そしてTwitterの崩壊によって中央集権的プラットフォームへの絶望感が決定的となった今、私たちはもう一度バラバラになって、出来る限りもったりとしたペースで歩み寄らなければいけないのかもしれない。
と、短いけれど、まだこのフォントには文字が足りていないので、一旦ここまで。
明日はokiさんです。